まちの風景が急速に変わっている。
能登半島のあちこちで、地震で壊れた建物の解体が進んでいる。
更地が増えるのは、まちの再生に向けた過程。わかっていても、「更地になると、そこに何があったのか思い出せなくなる」と聞くと、胸が痛む。
変わりゆくまちの記憶は、どうしたらとどめておけるのだろう。
この春、石川県能登町の町立小木(おぎ)中学校が78年の歴史に幕を閉じた。生徒数の減少に伴い、震災前から統合が決まっていた。3月30日、体育館で行われた閉校式に地域の人たちも集まり、名残を惜しんだ。
その中でひときわ目を引いていたのが、小木のまちを縮尺500分の1、5メートル四方で再現したジオラマだ。リアス海岸の九十九(つくも)湾に船が浮かび、山あいに家々がびっしりと並ぶ。
「すごいねぇ」とつぶやき、いとおしそうにスマホで何枚も写真を撮る人。「俺の家!」と指さす人。足をとめ、のぞき込む人が絶えない。
東日本大震災以降、神戸大の槻橋(つきはし)修教授(56)らが60カ所余りで作り続けてきたジオラマ。「記憶の街」と名づける取り組みだ。能登では珠洲市の寺家地区、七尾市の御祓(みそぎ)地区・一本杉通りに続き、3カ所目になる。
神戸大や金沢大などで建築を学ぶ学生たちが、地図や航空写真、グーグルマップのストリートビューなどをもとに発泡スチロールで作った土台に、3月上旬、住民たちが1週間かけて少しずつ色を塗っていく過程を取材した。
「もう、なくなる家や」
初日の朝。1メートル四方の真っ白なジオラマが21個、小木公民館に並べられていた。昼前に訪れた女性(59)は、学生に教わりながら、自宅と実家に絵の具で色を塗った。
実家はかつて「天国」という名のスナックがあった3階建てのビル。地震で壊れ、解体工事のさなか。解体前にスマートフォンで撮ったという写真を見ながら、女性は緑色のタイルの色をつけていく。「もう、なくなる家や」と声が漏れる。
女性が話す思い出話を学生がプラスチックの札に書き込み、ジオラマに挿していく。「こうやって残しとくと、違いますよね。私が来んかったら、忘れられてしまう」
実家と自宅に色をつけ終え、ジオラマに設置すると、女性は学生に「また見に来るね」とほほえみ、帰っていった。
初日の午後。別の場所での取材を終えて、再び公民館に戻った。色のついた家が増えていた。
学生がつくった大小の漁船を…